■時雨沢恵一のUberEats

2021年07月14日

「人権の国」

 分厚い冬の雲に覆われた草原を一台のモトラド(注・二輪車。空を飛ばないものだけを指す)が走り抜けていく。

 西に向かって真っすぐに続いていく平坦な道。その両脇にはご丁寧に街路樹が植えられている。国と国を繋ぐ主要な交通路なのだろう。

 きっとこの道の先にある国は、高い文明を持つ裕福な国に違いない。

 なだらかな道であるため、モトラドの速度も自然と上がる。

 冷たい風に正面に浴びながら街道をひた走っていくと、視界の先に町の外壁が見えてきた。想像していた通り大きな国のようで、壁の両端は遠く霞み、その果てなど見えやしなかった。

 これだけ大きい国ならば、きっと旨い食べ物にありつけるかもしれない。

 少し速度を落とすと、モトラドは運転手にこう言ってきた。

「随分立派な町だね。キノ」

 キノと呼ばれた華奢な体のモトラドの運転手は、相槌代わりにモトラドのタンクを軽く叩き、こう返す。

「そうだね。けど、大きな国では入国に時間を取られるかもしれない。今日の昼食が夕食の時間になってしまったら、そんな悲劇的なことはないよ」

 前の国からここに至るまでかかった日数は五日間。

 その間、全ての食事を携帯食料で賄ってきたのだから、この国での初めての食事は温かく豪華なものにしたいところだ。

「キノはお腹が空いてしまっているんだね」

「もちろん。だけどねエルメス、君は少し勘違いもしている」

 キノがそう否定すると、エルメスと呼ばれたモトラドは「何を?」と聞き返した。

「土地の食べ物をいただくということは、その国の文化に触れるということでもあるのさ。それも旅の醍醐味のひとつだからね」

 エルメスはどこか上の空に「ふーん」と呟き、こう続けた。

「ぼくはどこの国の燃料でも一緒だと思うけど......」

 やがて街路樹が途切れ町が近づいてくると、人の足で踏み固められた土の道からレンガで舗装された道へと変わっていった。そしてその先には、大きな国に相応しい巨大なアーチ状の門が存在する。

 門の目の前に来たキノはエルメスからおり、その脇に立っている門番の兵士に頭を下げパスカードを差し出した。

 一瞬だけ鋭くなる兵士の目つき。

 キノの腰に帯びたハンド・パースエイダー(注・パースエイダーは銃器。この場合は拳銃)のホルスターに目をやったようだが、すぐに視線を外すとパスカードを受け取り審査機械にかけた。

 特に問題はなかったようで、兵士はパスカードを片手で返し「ようこそ、旅の方。ここは『人権の国』です」と言って門を開けてくれた。

 防寒用の耳垂れがついた飛行帽を外したキノは、兵士に対し丁寧にお辞儀をし開かれた大きな門を潜る。

 高い外壁がそびえていたため外から町の様子を伺うことはできなかったが、中に入ってみるとそこはとても洗練された町だと知ることになった。

 統一された形式の、背の高い建物群。

 町の至る所にある、緑豊かな公園。

 綺麗に舗装され計画的に造られたであろう真っすぐな道路。

 そしてその道路にはモトラドなどは一切走っておらず、多くの人が自転車を利用していた。

 これだけの文化水準を誇りながら、主要な交通手段が自転車なのは何故だろう?

 若干の違和感を覚えつつ町を見て回ると、すぐにその理由を理解することになった。この国では燃料の値段が異常に高いのだ。

「いやー、高級な燃料は非常に美味だね」

 燃料を補給したエルメスは、比喩的にそう言った。

「こんな悲劇的なことがあるとは予想外だったよ」

 節約のために道路の端でエルメスを押し歩くキノ。この国の燃料は、前の国の三十倍近くの値段がついていた。何という恐ろしい国に来てしまったのだろう。

 そしてなけなしのお金を握りしめ商店やレストランを覗き歩いたのだが、やはりどの商品も値段が高く、燃料ほどではないもののどれも平均的な物価の十倍くらいの値がつけられていた。

「もうこの国から発つかい? キノ」

「そうだね。それも選択肢に入れておく必要があるかもしれない」

 結局昼食にありつけなかったキノは、公園のベンチに座り思い切り背もたれに寄りかかった。その横にサイドスタンドで立っているエルメスは、燃料が満タンになっているためかどこか満足気だ。

 通常、一つの国に滞在するのは三日間と決めている。深い理由はない。昔会った旅人が、それくらいがちょうどいいと言っていたからだ。

 しかしこの国に三日間も滞在していたら、破産してしまうかもしれない。ここは例外的に、次の国に向かった方が良策だろう。

 ひとまず携帯食料でも口にしようかと、エルメスの後部キャリアに手を伸ばすキノ。

 するとその時、目の前に一台の自転車が止まり、乗っていた銀髪の男がこちらに向かってにこりと微笑んだ。

「お待たせいたしました! ご注文のお客様ですね?」

「......どういうこと?」

 突然のことに、キノは大きな目を何度も瞬かせる。もちろんこんなに物価の高いところで、何の注文もしてはいない。

「あれー? ここで注文者さんと待ち合わせになってるのに、おかしいなぁ」

 目の前の人物が客でないと分かると、銀髪の男はぼやきながら背負っていた大きなリュックサックを下し、キノの隣にどかりと座った

 リュックの中からは食べ物の良い香りが漂っている。この男は料理の配達員か何かのようだ。

 機を逸したキノは携帯食料を食べるのを諦め、ベンチに座ったまま意味もなく呆然と公園の樹木を眺める。雲が流れ隠れていた日差しが公園に差し込むと、エルメスのタンクに反射し光の線が目の前を横切った。

「へぇ、モトラドかぁ。今時珍しいね。君は旅人なのかい?」

 銀髪の男は言ってくる。モトラドに興味があるのか、退屈しのぎに話しかけているだけなのかは分からない。

「今日この国に来たところです。あまりにも物価が高いので、すぐにでも出ようかと思っていますが」

「物価かぁ。それほど高いと思ったことはないけど、燃料は他所の国に比べたら高いらしいね。モトラド乗りにとっては死活問題だ」

 他人事のように語る銀髪の男。燃料が高いからこそ、この国の人たちは自転車を乗らざるを得ないのだと思っていたのだが、そういうことではないのだろうか?

「何故この国は、こんなにも燃料が高いのですか?」

「単純に燃料の課税率が高いからだね。ここは『人権の国』だから、人の住む環境に悪影響を与えるものはどうしても税金が高額になってしまうんだよ」

 人権という言葉に抑揚を付けて強調し、どこか誇らしげに語る銀髪の男。正し、どこが誇らしいのかはキノには分からない。

「ところで人権っていう言葉はどういう意味ですか?」

「人権っていうのはつまり、人の命を尊重するためのルールさ。例えば君はパースエイダーを持っているだろ。それは人の命を奪うことのできる道具だから、当然この国では禁止されている」

「そうなの? 入国した時はそんなこと言われなかったけど......」

 わざとらしく肩をすくめキノが言うと、銀髪の男はにやけるように口角を上げ、

「ごめん、少し語弊があった。禁止というのは撃つことに対してさ。所持に関しては何の問題も無いよ。そういったものを収集するコレクターの権利も大事だからね」と言って大きくあくびをした。

「ふーん」

 幾らか晴れてきた空を眺め、キノは気のない返事をする。

 ここは人の命を尊重する『人権の国』。

 自分勝手な理由で人の命を奪うようなまねをすれば、それはかなりの重罪になってしまうのかもしれない。無論、いたずらに人に銃口を向けるつもりなどないが。

「だから気を付けてね。万が一パースエイダーを人に向かって撃ってしまったら、問答無用に国外追放になってしまうから」

「国外追放!? それだけ?」

 背筋を伸ばし、驚きを示すキノ。

 そして更に死罪にはならないのかと聞くと、銀髪の男は呪いの言葉でも耳にしたかのようにあからさまに顔をしかめさせた。

「死罪だなんて、恐ろしいことを言うなぁ。ここは『人権の国』だよ。人間の命は法律で守られているのさ。それはルールを破った者でも何ら変わりない」

 そして銀髪の男は人の命の尊さや、この国の素晴らしさ。そして自転車がいかに環境に良い乗り物かということを、子供に言い聞かせるように切々と語った。

 キノはそれを生返事をしながら聞き流しているのだが、銀髪の男は空気を読まずに延々と話し続ける。殊の外お喋りな男だったようだ。エルメスに至っては、眠ってしまったかのように相槌も打たない。

 段々と眠たくなってきたキノが瞼を押さえると、突然銀髪の男が「あっ」と声を漏らし、その場から立ち上がった。

「どうかしましたか?」

「......待機時間が過ぎたんだ」

 銀髪の男がそう言う。

 だがそれがどういうことなのか分からないキノが口を閉じたまま首を傾げると、銀髪の男は「この料理がゴミになったということだよ」と説明してくれた。

 折角指定の場所に運んできた商品だが、注文者と接触が取れずに廃棄処分になるということらしい。

「捨ててしまうとはもったいない......」

 キノは心の底から恨めしそうに言葉を漏らす。

「もったいない? 面白いことをいうね」

「面白いかな? その料理、捨てるんだったらボクが貰っても良いかな?」

 そのキノの言葉を受け、銀髪の男はぎょっとしたように目を見開いた。

「これ、食べるの? すっかり冷めてしまっているけど......」

「この国に来るまで携帯食料ばかりだったから、それより全然いいんだ」

「へぇ......。けど欲しいって言うなら、こっちもゴミを捨てる手間が省けて一石二鳥だ」

 銀髪の男はバッグの中からクラフト紙の袋を取り出してキノに渡した。

 そして「お腹壊しても訴えないでくれよな!」と言うと、乗ってきた自転車にまたがり颯爽とそこから去っていった。

 思いもよらず食べ物を手に入れたキノは、先ほどまでは一切見せなかったほくほくの笑みを浮かべ紙袋の中から商品を取り出す。

 中に入っていたのは、何かに衣をつけて油で揚げた茶色い食べ物。銀髪の男は冷めてしまっていると言っていたが、まだ充分温かく、食欲をそそるかぐわしい匂いが漂っている。

 それを両手で掴んだキノは、早速かぶりついた。

 スパイシーに味付けをしたサクサクの衣と、淡白だが旨味が溢れるお肉。何の肉かは分からないが、非常に美味なる食べ物だ。

「おいしいかい? キノ」

 眠っていたかのように黙っていたエルメスが、不意にそう聞いてきた。

「うん。鶏か爬虫類のお肉を揚げたやつだ。とてもおいしいよ」

「それは良かった。けど、ぼくはさっきの配達員の人があまり信用できないな」

 一言も話さずに黙っていたエルメスだが、実はしっかりと起きていて話を聞いていたようだ。まあ、信用できないという点については、キノも同意見ではある。

「やっぱり話が長いっていうのが、彼の信用を損なっている原因なのかなぁ?」

「うーん。ぼくがモトラドだからかもしれないけど、あの人の言うことは矛盾しているように感じるんだ。だってその食べ物は、鶏かワニかの命が犠牲になることで存在しているんでしょ?」

「......まあ、そうだね」

 キノは口の中の小骨を指で摘まんで取り出し、そう答える。

 これは当然動物のお肉だ。もしかすると揚げている油も、動物性のものかもしれない。

「人間はルールを破るような人物でも尊いものだと主張しているのに、他の生き物に対しては、命を奪っておいて食べもせずに平気で捨てることができるってどこか変じゃないかな?」

 幼い子供のように、素朴な疑問をぶつけてくるエルメス。

 人間の価値観を元につくられた、人間社会のための法律やルール。だが人間以外の生き物からすれば、それは単なる自分勝手な決め事に過ぎないのかもしれない。

「ねぇ、キノ。ぼくはあの配達員が言ってた『人権』っていう言葉が、よくわからないんだ」

 キノは困ったように眉をひそめ、咀嚼していた肉をゆっくりと飲み込んだ。

「......それはボクにもよくわからないよ」


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