■伊坂幸太郎のウーバーイーツ
「その仕事は楽しいかい?」
人気の無い路地裏で、魚顔の男がそう聞いてくる。
鈴木はその時、この顔は何の魚だったかと考えを巡らせ、男の顔を横目で覗き込んだ。離れた目に、二つに割れた口髭、そしてその厚ぼったい唇。そうだ、この顔は魚の中でも鯰にそっくりだ。
喉のつっかえが取れたので、一息つきたいところではあるが、鈴木は両手を上げたまま天を仰いでいた。首元にアーミーナイフの刃を突きつけられていたからだ。
「......そうだね。ドナルド・トランプにチーズバーガーを届けたとして、それで世界に何か変化が起こるかもしれないと考えたら、少しは楽しいかもしれないよ」
鈴木がそううそぶくと、首元にあった刃があごの先に触れ、冷えた感触が伝わってきた。
「ハンバーガーで世界は変わらねぇよ」
「可能性の話をしているのさ。一見すると僕は、飯を運ぶただの配達員だ。けどその裏家業は、もしかすると殺し屋なのかもしれないだろ」
鈴木がそう口にした途端、鯰のナイフを持つ手が勢いよく伸びてきた。素早くかわすも、切っ先が喉ぼとけの皮膚を僅かに裂く。熱い痛みが走るが、大した怪我ではない。
後ろに退いた鈴木は、大きな黒鞄を背負ったままの状態で後転し、鯰の利き手を蹴り上げた。光る刃物の先端が、回転しながら放物線を描き、アスファルトの上に落下する。
自分の商売道具を失った鯰は、痙攣でも起こしたのかのように、口元がぱくぱくと動かしている。まるで本物の鯰のようだ。
「ところであんた、昼飯にチキンケバブを食わなかったか?」
「......ああ? 食ったら何だってんだ」
「折角だから教えてあげているのさ。殺し屋には、毒殺専門もいるってことを」
その言葉を聞くと同時に、鯰は突然、崩れるようにひざまずいた。そして、そのまま前のめりに卒倒する。口からは細かい泡が噴き出ているが、まだ息はあるようだ。
「や、やっぱりお前だったか、飯屋とかいう殺人鬼は......」
「殺人鬼とは随分な言い草だ。通り名をつけるなら、救世主とでも呼んでくれ。飯屋とメシア、洒落が効いてるだろ」
しゃがみ込んだ鈴木は、懐から小さな革袋を取り出し、その中に入った一本の細い針を、鯰の頸動脈に突き刺した。死を覚悟したのか怯えもしない鯰は、一度だけびくりと体を跳ねさせたが、その後は無抵抗のまま静かに瞼を閉じた。
「僕は世界を変えることが出来るかもしれないが、問題がないわけでもない。それは、仙台の街にドナルド・トランプが住んでないということさ」
その場から立ち上がった鈴木は、スマートフォンで今の時間を確認する。まずい、8分遅れだ。チーズが固まってしまう前に、このハンバーガーを注文者の元に届けなくては。
仕事は常に迅速で丁寧でなければいけない。これは誰の言った言葉だったろうか?
犬養舜二か、ローランド様か、もしかするとジャック・クリスピンの言葉だったかもしれない。
針を革袋にしまった鈴木は、首から流れる血をウエットティッシュで拭き取り、路肩に停めているジャイロキャノピーに乗り込んだ。