■ソフィ=シュイムの不条理なUberEats

2025年06月13日

 鬱蒼と茂る木々の隙間に見え隠れする青空が、徐々に薄く白み始めてきている。

 コゴトという名の男は、重い荷を背負いながら山道を急ぎ足で下っていた。山道と言っても人が通るような道ではない。恐らくこれは獣道。町と町を繋ぐ山の中の街道を歩いていたのだが、いつの間にか獣車(じゅうしゃ)の幅では通れぬような狭い道に迷い込んでしまったらしい。

 靴の裏にへばりついた赤い粘土質の土が気になって仕方がないコゴトだったが、それを剝がすことなど出来るはずもなかった。一刻も早く山を下らなくてはならない。さもなくば必ず『厄介なこと』に巻き込まれてしまうだろう。

 頭上には牛のような野太い声で鳴く耳障りな鳥が何羽も飛び交っている。近づく夕暮れに備え自分たちの巣に帰ってきているのかもしれない。

 時間の経過に焦りを募らせるコゴトだったが、幾ら進んでも正規の道は見当たらない。せめて鼻売りの小僧でも現れてくれればいいのだが、こんな山の中に子供が居るはずもなかった。

 一向に変化することのない景色。徐々に増していく足の裏の赤土。コゴトは頬に流れる汗を拭い、ゴクリと息を呑みこんだ。

 ふと気づいたのだがこの道、獣車は無理であっても馬やラクダなら楽に通れるくらいの広い幅がある。つまりそれが示すのは、この獣道を普段通っている生き物は馬よりも大きな生物であるということ。この山をよく通過すると言っていた商人の話では、体長4メートル程の一角獣(フェリオナ)がこの山の森に住み着いているのだという。

 一角獣は聖獣とも称えられている一方で、性格は極めて獰猛。人を喰うという話は聞いたことがないが恐ろしく強靭な顎を持っているため、人間など簡単に噛み砕かれてしまうとのことだ。もしも出会ってしまえば、生きて帰ることは難しいだろう。

 この獣道から外れて茂みの中を進むべきだろうか?

 歩きながら考えを巡らせていたその時、突然脇の藪からガサリッと音が鳴り何かが出てきた。

 驚きのあまり声も出せずに背後に飛び退くコゴト。

 だがそこから現れたのは、真っ黒な服を着た小さな女の子だった。

 どうしてこんな山の中に女の子が1人でいるのか?

 混乱するコゴトをよそに、少女は哀し気な表情をするばかりで山の中で人と出会ったことなど気にもとめない様子だった。

 そしてよく見ると、少女は腰に大きな銀バサミを携えている。

 銀バサミを持っているということは、この子は女の子でありながら鼻売りをしているのかもしれない。不可解な話ではあるが今はとても都合が良い。ならばさっそくと鼻を買おうとするコゴトであったが、少女は自分は鼻売りだが鼻を売ることはできないと答えた。

 女なのだから鼻を売れないのは当然なのだが、ならば何ゆえこんな山奥で鼻売りなどしているというのだろうか? 疑問が浮かぶと同時に、どうしてかはわからないが額から脂汗がふつふつと沸き出した。

 少女はそこで初めてコゴトと目を合わせ、その顔を中央部を真っすぐに指さした。

「鼻は売れません。ですが、旦那様も立派なお鼻をお持ちではありませんか?」

 恐ろしく通りの良い少女の声が山の中に響き、木々をざわめかせる。コゴトはそれと同時に全身が怖気立ち、立っていられぬ程に膝ががくがくと震え出した。

 この子供は一体何者なのか?

 得体の知れぬ恐怖に逃げだしたい気持ちはあるのだが、どういうわけか背中の荷物が倍になったかの如く重く圧し掛かり全く身動きが取れない。

「時に貴方は八つ目のマナを何と心得ますか?」

 脂汗が止まらないコゴトに対し、少女は更にそう聞いてきた。だがその質問の意図するところがわからない。いや、質問に対し考えを巡らせることすらできない状態だったのかもしれない。

「な、何の話をしているッ!? お前はヌ……ッ」

 禁忌の言葉が脳裏に過ぎる。

 しかしその言葉を口にしようとしたその瞬間、目の前の景色が突如一変した。

 間違いなく山の中にいたはずなのにコゴトはその時、どこかはわからない市街地のような場所に立っていた。地面には石畳が敷かれ、左右両脇に狭い間隔で小さな家が建ち並ぶそんな町。

 じめりとしていた山の空気も、青臭い草木の匂いもそこにはない。ただ乾燥した生温い風が背後から流れ、どこかの地下室にいるようなカビの臭いが辺りに漂う。

 これはどういうことなのか? そして先程まで目の前にいた鼻売りの少女はいずこに?

 恐る恐る首を動かし周りを見渡すコゴト。しかし少女の姿は何処にもない。それどころかその周辺には人の姿がまるでなかった。沢山の建物があるにも関わらずだ。

 人の営みが感じられないが廃集落というほど廃れてもいない、何とも不可思議な雰囲気の町。目的の町ではないようだがそれはこの際どうでもいい。もしも住人がいるのなら持ってきた商品の薬を売り払って、とっととこの町から出ていくとしよう。

 未だ重く感じる背中の荷物を下して中身を改める。そこには荷受け時に受け取った瓶入り薬剤が30本入っていた。荷は重いが中身が増えたわけではない。

 再び荷を背負ったコゴトは靴底の赤土が気になりつつも真っすぐに続く石畳を進み、薬瓶を卸せる商店を探し出した。薬屋か診療所、もしくは孤児院などの養護施設でも買い取ってくれるはずだ。

 しばらく続いていた住宅街と思われる一帯を抜け一つ大きな通りを横切ると、商店らしき看板がいくつも見える横丁のような狭い路地に辿り着いた。

 どんどんと重くなっていく荷物のせいですっかり背中が曲がってしまっていたコゴトだったが、ここなら薬屋があるに違いないと思い膝に力を入れどうにか背筋を伸ばした。

 目の前にある閑散とした横丁。人の気配は相変わらずないのだが、妙な視線のようなものはどこからか感じられる。生き物というよりも、この世のものとは思えないどこか得体の知れない視線。

 だが道を進んでいくとすぐに視線の正体がわかった。横丁の建物に掲げられた看板の幾つかに、大きな目玉の絵が描かれていたのだ。その目玉の絵の横には目医者と記されている。

 成程、目医者の看板かと納得したコゴトだったが、それにしてもやけに目医者が多い。

 違和感を覚え他の看板に目をやるも、目玉の絵が描かれていない他の看板にも全て目医者と記されている。どうもこの通りにある目の届く範囲の建物の全てが目医者のようだった。

 いや、流石にそんなわけがないだろうと思い横丁の奥へと足を運ぶが、右を見ても左を見てもあるのは目玉の看板のみ。なんということだろう。診療所は探しているが、目医者では何の意味もないのだ。

 四方からくる看板の視線にあてられ気が滅入ってしまったコゴトは、崩れるようにその場にしゃがみこんでしまう。

 これは一体どういうことなのか? 悪い夢なら覚めて欲しいが、今起きていることが夢でないことくらいは頬をつねらなくても理解できる。

 虫の鳴き声も、鳥のさえずりも、人間の生活音も何も聞こえない無音の世界。そんな静寂に包まれていた町に突然鐘の音が6回鳴り響いた。

 これはお昼を知らせる鐘楼の鐘の音。先刻山の中で日が暮れそうになっていたのに、どうして今昼の鐘が鳴るというのだろうか? 時刻を確認しようと空を見上げるも、薄い雲に覆わているのか空は灰色一色で太陽の高さも今一つはっきりとしない。

 もしかすると『厄介なこと』はすでに始まっていたのかもしれない。

 嫌な予感がしたコゴトは慌てて立ち上がり、そこから引き返そうと踵を返す。

 するとその視線の先に仮面を着けた町人が1人、こちらの様子を伺っていたかのようにじっと佇んでいるのが見えた。その町人、体は異様に大きいものの服装から察するに女性のようだ。

 すみません。と、こちらが声をかける前に仮面の大女はくぐもった声で「目の前に何が見える?」と問いてきた。

 目の前にいるのは、微笑を湛えた面を着けた大女。いやその仮面、少し角度を変えると冷酷な表情を浮かべているようにも見える。

「あなたがいるだけのように見えるが……」

「ほう。それは面白い」

 言葉とは裏腹に仮面の大女は至極つまらなそうにそう言うと、そこにあった町の景色が濃霧に吞まれてしまったかのように真っ白になり何もかもが消えてしまった。広く白い空間にいるのは仮面の大女とコゴトのみ。

 目の前に何が見える。何もないように見えるか? くぐもった声が脳裏に響く。

「何もない!? 本当に真っ白で何もないんだ!!」

 コゴトが何かにすがるようにそう言った後、大女は表情の読めないその仮面を静かに外した。そしてその下から現れた顔は見覚えのある顔。

「お、お前はッ!?」

 仮面を外したその大女は、先程山の中で現れた鼻売りの少女と同じ顔をしていた。体の大きさこそ違うが、その幼い表情は瓜二つ。ゆえに先程の少女が成長した姿というよりも、あの少女がそのまま巨大化してしまったかのような姿だった。不均衡な体型で、不自然な存在。

 目の前に何が見える。何もないように見えるか? 繰り返されるくぐもった声。その間に大女の体は更に大きくなっていく。

 コゴトは禁忌の言葉が漏れそうになり口を押さえたが、やがて肩を震わせ小さく「何もない……」と呟いた。

 二階建ての建物と同じくらいの高さになった大女は、腰に携えた銀バサミを握り足元に広がる真っ白な空間に刃を喰い込ませた。巨大な絨毯をハサミで切り裂くかの如く。 


 違います。ここに……。

 ここに、世界がある!

 

ザクッと断ち切る音が頭の中に響き、稲妻のような痛みが全身に走る。

 そうか……。そういうことだったのか!

 全てを理解したその刹那、己の中で時間が遡る感覚が一瞬あった後、脳が鮮明に覚醒した。

 頭の中の雑音が消え、目の前の視界が蘇る。

 何もなかった世界は、木々に覆われた薄暗い山道に変化した。藪に挟まれて細く蛇行する一筋の獣道。頭上では不快な鳴き声の鳥が牛のように鳴いている。

 コゴトはいつの間にか元居た山の中に戻り、獣道の真ん中で尻をつきあぐらをかいていた。

 何か大事なことに届きそうな感覚があったが、今はそれが何なのかわからない。先ほど見た目医者ばかりの町のことは覚えているが、あれは果たして夢か幻術か?

 立ち上がろうとしたコゴトだったが、下半身に不快感を覚えその動きが止めた。見ると腰巻きが濡れている。どうやら失禁してしまっていたらしい。

 ただそんなことを気にしている場合ではなかった。今は一刻も早くここから立ち去りたい。濡れて貼りついた腰巻きを捲り今一度ゆっくり立ち上がる。

 どっちだ。どちらに行けばよい?

 コゴトは左右確認すると、若干下りになっている左方向に向かって駆けだした。

 濡れた腰巻きなどはどうでもよい。どうでもよいが、今は靴の底についた土がどうしても気になって仕方がない。

 ああ、何なんだこの赤土は……。歩きづらい、歩きづらい。

 

      了

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